安田記者の帰国に思う

2018年10月28日

明治30年に大乗仏教の梵語原典とそのチベット語訳を求めて東本願寺の仏教学徒の川口慧海が当時厳しい鎖国を敷いていた禁断の国チベットへ旅立った。

動機は学んできた漢訳の経文では「何が真実で何が偽りかが分からない。」というものだった。

 明治36年の帰国後に記した『チベット旅行記』探検精神の脆弱な日本では評価されなかったが英訳されて国際的評価を得ることになる。

持ち帰った貴重な仏典は東北大学で管理され、その行程はヒマラヤ探検史上の画期的偉業とされている。

今年春の台湾自転車旅で故宮博物館に立ち寄った時に、サンスクリット語で書かれた分厚い布製の高さ70cmほどの大蔵経に見入っていたことがあった。川口慧海の勇気と努力と精神力を改めて思った。

 シリアで武装勢力に拘束されていた安田記者が3年を経て解放され、無事帰国した。

以前から行方不明が伝えられながら2014年の後藤健二氏らの時と違って、日本政府の救出の動きが殆ど報じられることは無く、最悪の事態を予感させるものがあったので本当に良かったと思う。

「自己責任論」がある。しかし、国内外を問わず、世の出来事の真実を知りたいと思っても個々人には無理なことが殆どである。

真実を伝えんと身の危険を賭して挑むプロのジャーナリストがいて我々の考え行動する自由が確保されているのだと思う。感謝こそすれ安田さんのようなジャーナリストの存在は重要で否定出来ない。

慧海らもそうであったように、いつの時代でも真実を知るには現場に行かなければならない。

ジャーナリストの拘束事件の度に思うのは、そのコストをどう払うかという問題は平和を失った地域を無くすためにどうするかを見つけ出すのと同じくらい難しいことだということだ。生命が第一という鉄則は変わらない。

国内でも政権の政治姿勢・手法に疑問を感じ、説明に納得していない国民は多い。政府が真実を明らかにしようとしないからだ。ジャーナリズムの出番は多いはずである。

 

 

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