捜せば必ずある。

2018年02月26日

カロウシは世界に通用する有り難くない日本語になっているという。深夜の残業は当たり前の時代を過ごしたが、過労死した方の遺族の悲痛な訴えを聞くと、今の労働環境は精神面に対しても想像以上に過酷で深刻なものになっていることを知る。

働いていた頃には無かった「裁量労働制」は一定の賃金で労働時間が伸びて行く危険性を孕んでいるのは間違いなさそうだ。

その「働き方」の拡大を進めようとする法案の政府説明が杜撰なデータに基づく嘘であることが明るみに出た。

国会でも地方議会でも議会答弁を書くに当たって、先ず統計数値・資料を揃える。上司のチェックを受ける「勉強会」では事実関係に間違いがないかどうかが確認され、その上で答弁内容が検討される。今回の虚偽説明はこの段階で何かが起きていたとしか考えようがない。

官邸が都合の良いデータを役所に用意させたか、役所に数字の間違いに直感的に気づく能力が無くなったのか、忖度か。政府によってデータがコントロールされる社会は恐ろしい。

政策決定の重要な論拠となる数字を恣意的に使われても国民には確認のしようが無い。ジャーナリズムが衰退していて、国権たる国会が粘り強く情報公開を要求するしかない。

 役所の実働部隊は資料、記録を必ず残している。仮に破棄せよとの指示があったとすればその痕跡もまた残っている。

 データが間違ってましたでは済まされない間違った政治を正すために、国会は機能を発揮し、役所は公平・公正な良心を取り戻して欲しいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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