音威子府村と『砂澤ビッキ記念館』 -つづき-

2017年10月26日

ビッキ 母親の刺繍.jpg           ビッキさんの母親は刺繍の名人だった 29.10.7  

ビッキ 昆虫.jpg

    豪快さとともに繊細な木彫も

砂澤ビッキの年譜にある「ハイダ族」は、カナダのベーリング海沿岸の島で『トーテムポール文化』を築いた海洋インディアンだ。

彼らには太古の昔、北東アジアから漂流してきた姉妹の血が流れているという言い伝えがある。(「旅する木」星野道夫著)

思い出すのはペリーが来港する数年前に日本海で操業していたアメリカの捕鯨船からボートで脱出して焼尻島に辿り着いたラナウド・マクドナルド。

インディアンの母親から祖先は日本という国から来たと聞かされ、祖国見たさに決死の覚悟で漂着した白浜海岸に町がトーテムポールを建てた。(「海の祭礼」吉村昭著 ほか)

二つの話をつなぎ合わせると、太古の縄文或いはアイヌの歴史が太平洋、ベーリング海をまたぐ壮大な"旅"を感じる。

ハイダ族の子孫はトーテムポールの立つエリアを神聖な場所として、それが朽ちるままに残しているという。「自然に触れて作品になる。」というビッキの哲学と通じる。

ビッキが筬島オサシマにいた頃の村の賑わいと活気の場を願い、村が誇る芸術家を伝える拠点として、『ビッキ記念館』の正式名称は『エコミュージアムおさしまセンターBIKKYアトリエ3モア』と名付けられた。

"BIKKY"の最初のアトリエは「モア」。2番目の「モアモア」に続き、音威子府高校の狩野校長に誘われて閉校した筬島小学校に構えた3番目は「3モア」となった。

ハイダ族のトーテムポールの建つ地域のように、"3モア"が村とともに命を持ち続けて欲しいものだ。

ビッキさん出掛けてます.jpg

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