北村と啄木

2017年07月07日

 - 石狩の空知郡の牧場のお嫁さんより送り来しバタかな -

                        石川啄木 『悲しき玩具』

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東京で赤貧の中、肺を患っていた啄木の枕元にあったバターの贈り主は橘智惠(戸籍はチヱ)。啄木が函館の小学校で代用教員をしていた時に思いを寄せていた同僚という。

橘智惠は病が癒えて明治43年5月石狩川を汽船で遡って、空知郡北村の北村農牧場に嫁いだ。夫は兄の札幌農学校時代の友人で後に"空知ホルスタインの父"と称えられた若き牧場主北村謹(きん)。

冒頭の歌は啄木のことを風の便りに知った智惠が夫にも話して歌集へのお礼として送ったバタ-のことを地元の歌人らが記念碑にして伝えている。当時は高価で貴重な品だった。

もう30年近く前に空知に勤務していた頃に何度か通りかかった歌碑。先日、月形皆楽公園に向かって北村を自転車で走っていて、初めて啄木と北村の繋がりを知った。今、結社『辛夷』で歌を詠ませて貰っていなければ今回も足を止めることは無かっただろう。

北海道酪農の黎明(れいめい)期に開設された「北村牧場」は村の名前の由来になった開拓の祖・北村雄治氏の弟、謹氏が開き、飲用乳のほか当時はバター製造を手掛け、孫の中曽根宏さん(77才)が4代目として経営してきた。

しかし、国の遊水地整備事業で移転を余儀なくされ、残念なことに今年の春に111年の歴史に幕を下ろすことを決めた。中曽根さんは馬術部の主将として全国大会で活躍された大学の大先輩であり、仕事でも酪農団体の要職に就かれていて大変お世話になった。

折しもEUとの貿易交渉の大枠が決まった。道庁には一時、デンマーク酪農の導入に取り組んだ時期があったが、明治開拓時代からのケプロン、クラークらの提唱するアメリカの酪農を手本として発展してきた歴史がある。

「牛の糞を餌に豚を飼う。」と言われたくらい国土を最大限に利用し、優れた加工文化を生んだデンマークの畜産。北海道の畜産がこれから北米とともにヨーロッパとの競争に晒される。

自由貿易の拡大は当然であり否定しない。ただ「最後はカネ」さえ配ればいいんでしょ、というその場限りの底の浅い政策が又々繰り返されそうで不安感が募る。かつて酪農の原点とも言える乳製品加工に取り組んでいた名門牧場の灯が消え、歌碑の前で暫し歴史の巡り合わせを感じた。

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