巳後而死

2017年04月21日

餅には、こねる人、つく人、食べる人がいるという。幕末から明治維新にかけての人物群はどうなのだろうか。初めて萩を訪れ、松陰神社と桂小五郎(木戸孝充)生誕の間を見て歩き、思った。

多くの傑物を世に送り出し、自身は幕府から目をつけられ刑死した松陰は間違いなく「こね」た人物に違いない。

松陰の教え子である桂小五郎は20才の時に剣術の修業で江戸に出る際に実家の柱に落書きしている。改修の時に見つかり、生誕の間に陳列されていた。

『巳後而死』、(巳の字はスマホに無いので実際と異なる。)死して止むと読むそうだ。「死ぬまで努力」するの意とのこと。西南の役の時に若くして病死している。明治政府にあって国造りの餅を「ついて」いた最中か。薄くなった墨の痕が懐中電灯で浮かび上がった。

"山陰の小京都"と言われる津和野、萩に来たので、この旅で初めて観光ホテルに宿を取り、美味しい料理と日本海を楽しみ寛いだ。(29.4.16) DSC_0140.jpg 左のガラスケースの中に落書きの柱

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