短歌という旅

2017年03月03日

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帯広在住の農民歌人・時田則雄さんの『野男の短歌流儀』(本阿弥書店 平成17年10月)を読んで短歌を始め、10年が経った。

"ひとり一派"の自由さと、「詠うということは訴えることに通じる。」という考えに惹かれて、当時、氏が発行人をされていた『辛夷』に入会した。時田氏は〝歌は生きていることの証。教えるものでも習うものでもない〟といったことも述べている。

そのような"教え"に胡座をかいて、我流で毎月10首の送稿に努めてきたけれど、昨年は欠稿がちだった。

そんな時、お世話になっている選者の先生からメールで「続けるように。」と励まされた。『辛夷』2月号の巻頭は先生の『詠風恐るべし』だった。抜粋、要約して紹介させていただく。

『詠草を拝見していると、それぞれ固有の詠風があることに気づく。つまり、来し方と深い関わりで形成されるのであろう。送稿して下さる一人ひとりを私は尊敬する。私は応えなければならない。みんな何らかの悩みや悲しみを伴っているに違いない。せめて歌に関わりながら互いに励まし合って生きること、これは歌の巧拙を越えて、何よりも大切なことなんだとつくづく思う。』

自分第一主義が普通の世の中になった。短歌を続けながら少しでも周りへの気遣いの至らなさを改める努力を続けなければと思うこの頃である。

4月号詠草10首を何とか送ることが出来た。

   === 葉を落とし凍原に生く灌木の白き網目に星ひとつあり ===

    === 陽の光柔らかくなり水溜まり飛び飛び進む買い物の足 ===

来し方を見つめ、未来に向かうということでは歌もまた自分にとっては「旅」になっている。

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