松浦武四郎と恵庭

2015年09月05日

「北海道」の命名者である松浦武四郎が恵庭も訪れていた。「えにわ歴史研究会」の槌本秀秋氏が近くの道の駅で開催している資料展で示されている(9月6日まで)。

街を流れる漁川と茂漁川の周辺は湿地であり、アイヌ世帯は2戸しか無かったようだ。クラーク博士が学生と別れた島松駅逓跡付近の地形図も興味深い。(安政5年1857,第5回踏査)

松浦武史郎 島松.jpg

  -国道36号線の恵庭から北広島方向、左手が島松駅逓跡付近-

6回の蝦夷地調査を終えて1869年(明治2年)に新政府から開拓御用掛(のち、長官)を命じられ、アイヌの解放、札幌の首府化、各藩による分担開拓など、いくつか行った提言は先見の明があるものばかりだが、当時は実態として認められず、1年に満たず職を辞している。骨太の性格も偲ばれる。

今、地球上に未知なる地域は無くなったが、間宮林蔵らにしても幕末から明治にかけての"冒険家"の勇気と能力と果たした役割にあらためて驚く。

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