「70年目の長崎」ツーリング

2015年08月09日

爆心地.jpg

4月のツーリングで長崎の爆心地を訪れた。投下されて間もない頃に手前左のような標柱が立てられていたという。Centerと刻まれている。今は奥にある御影石の柱になっている。

周辺には当日、爆心地で働いていた人達の名前が刻まれた沢山の慰霊の碑が国籍、会社、労働組合などの名で建てられていて、一瞬にして戦争の災禍が襲い多くの無辜の命が奪われたことを実感した。離れるのに時間がかかった。

浦上天主堂の落ちた鐘.jpg

 

爆心地から500mの大浦天主堂は、この地域に暮らしていた信徒が明治28年から赤煉瓦を一つづつ積み上げ30年の歳月をかけて完成した。建物は崩壊し、50tの鐘楼は再建された建物の傍に落ちて被災者の魂とともに眠っているようだった。

 

中継で平和祈念式典での安倍総理大臣の何も胸に響かない挨拶を聞いていて、中央省庁では大がかりな法案検討の時に法律屋ばかりの通称"タコ部屋"が作られることがあったことを思い出していた。安保法制もそこで膨大なエネルギーを投じて後々の運用も含めて組み上げたと思われる。

合憲か違憲かの論拠が同じ「判例」と「政府見解」なので裁判で決着がつくまで議論は平行線であり、驚愕の防衛大臣答弁もこれから表に出てくる法律運用の一部が露呈したにすぎない。タコ部屋ではこれら全てが予定調和で出来上がっている。

そのプロ集団を〝自分の足を喰う〟のではなく、健康的に活躍する集団に変えて、高邁な精神と見識と馬力で使い切る政治家が平和記念式典で挨拶する姿をこの先見ることはあるのだろうか。70年目の平和記念式典で思った。

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